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    ラギオール・ナイフ
 Laguiole
チエールのナイフ職人
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  チエールのナイフ職人
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Thiers Panorama

Un vieil adage thiernois dit que d'où que l'on se place, « on ne voit jamais qu'un tiers de Thiers ».

『どこからみてもチエールは1/3しか見る事が出来ない』

フランス中央に位置するオーベルニュ地方にチエールの町があります。 山と森と渓谷、冬にはマイナス20度になる厳しい自然の地です。 豊かな土地が無いため16世紀からこの地では川の水力を使った ナイフ作りがなされてきました。

現在のチエールの町には渓合いに旧工場群が見られますが、元々は 深い谷に位置する「滑車渓谷」La vallée des rouetsの村から 発祥しています。

滑車渓谷滑車

山間にある渓谷沿いの作業場は、太陽光が十分に届かない上に湿気が多く、 ナイフを削る鉄粉や塵で肺を患うこともあり、同じ姿勢での作業は 大変厳しい重労働です。

豊かな土地が無いため農業が発達せず、加えて他地方との交流手段が 少ないため、村人たちは厳しい生活を余儀なくされました。しかし そのおかげで彼らは結束感が強固で辛抱強く、不屈の精神でナイフ作りの 技術を磨いていきました。

当時の石碑当時の研磨風景

そのためナイフといえば「チエール」と言われるフランスナンバー1 の生産村へと成長を続けました。

500年にも渡る頑固な職人気質と、一つの「モノ」へとこだわる静かな 情熱を秘めた Thiernois《チエール人》は愛すべき頑ななフランス田舎人 気質といえましょう。

産業革命以降人々の流動が活発になり、都会へ出稼ぎに出るようになりまし た。 日ごろから重労働と過酷な環境で作業してきたチエール人たちは、文句も 言わず寡黙に働く労働者として、パリのホテルや食堂の下働きとして 重宝されました。彼らの心の支えは故郷への想い家族への慕情。故郷の象徴でもある折りたたみナイフはきっと辛い時も嬉しい時もいっしょにいたのだと思いま す。

持ち前の不屈の精神と真面目な仕事ぶりから、自らカフェをオープンさせる 者も出てくるようになり、故郷のカトラリーが都会のパリで一躍有名に なりました。

美しいフォーム、高度な製品、オーベルニュ人のような耐久性をもった Laguioleナイフが、パリジャン発音で「ラギオール」と呼ばれ注目を 浴び始める頃には、チエールの工場群は一層の発達をなしえたのです。

チエールの村

現在では水力が電気に変わり、流通に便利な国道沿いに工場は 移動し、Durolle(ドロール川)近くの旧工場群は美術館や資料館へと 変貌を遂げます。

安い労働力に押され、フランス国内のナイフの生産工場は衰退の一途を たどっています。ナイフの「心臓」である刃の部分を外国から輸入し 組立てのみをフランスで行う会社がでてきているのが現状です。

しかし、このサイトでご紹介するものは、全てをフランス生産にこだわって、 昔ながらの伝統を伝え続ける工場・アトリエ・工房のみを厳選し、「良い物」 を伝えたいとの思いから運営しています。

***こぼれ話***

Laguioleのシン ボルのみつばち(abeille)はひとつひとつ後付け溶接となります。 強いショックなどを与えるとマークの蜂が取れてしまいます。((+_+))

Laguioleを生産 している村の家庭のキッチンでも、蜂が取れたナイフを よく見かけたりします。
溶接し直したり新しい物へ交換すればよいのに、蜂が外れたナイフを 使い続ける祖父母に「どうしてか?」と訊いたことがあります。

おばあちゃんは

「群れを外れた蜂は必ず 甘い蜜を携えて仲間のもとに帰ってくるから、 これはこれで縁起がいいのよ。」

と・・・・。
物を大切にするということ、エスプリを利かした発想の エピソード。
取れたミツバチはPorte-bonheur(おまもり)としても地元の人々に愛されています


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